作品を購入し、家に飾られた絵画や立体作品を眺めるたび、私はいつも同じ感覚を覚える。それは、確かに手の届く距離にあるのに、どこか遠い存在であるという感覚だ。触れられそうで触れられない、その距離感にこそ絵画の美しさを感じながら、同時に、わずかな寂しさが胸に残る。それは、音楽を聴くときの感覚に似ているかもしれない。 レコードを所有していても、傷によって音そのものが変化したり、同じ曲であっても、聴く時間や心の状態によって響きは変わり、決して固定されない。 私はその”所有できない”という寂しさを、心のどこかで 解消したいと思っているのであろう。 所有する者にだけ許される、発見や変化の喜びを味わいたいのだ。 そのような考えを元に、私の好きな線と棘を用いた表現として “thorn” と “vein” は生まれた。 私の作品において、棘や線は単なる造形ではない。 それらはすべて”人”であり、感情であり、声なき音であるのだ。
“thorn” は、植物の棘、そしてスタッズから着想を得た作品である。 棘が折れると、その内部から様々な色が現れる。 どの棘が折れるのか、どの棘を折るのか それは、まるで長い年月を経て擦り切れたヴィンテージデニムのように、保有者によって異なる表情を見せる。棘はすべて不均一な形と大きさを持ち、直射日光や影の落ち方によって、その見え方は刻々と変化する。 その不揃いさこそ、人間そのものではないだろうか。 また、私はこの「変化」に着目している。 従来、絵画にとって望ましくないとされてきた経年劣化を、私は “経年変化” として捉え直した。 従来の絵画が、作家の手によって完成されるものであるならば、“thorn” は、作家と保有者が共に時間を重ね、手を加えながら完成していく作品なのである。 自然環境によってキャンバスが歪み、棘にクラックが入るかもしれない。 何かがぶつかり、棘が折れてしまうかもしれない。 しかし私は、そのような変化を否定すること自体を、強く否定したい。 なぜなら人間は、傷つきながら生きることで、より深く、より優しい心を得る存在だと信じているからだ。 私はこの作品を通して、傷つきやすく、心の弱さを抱えた者たちに、”弱さという名の美しさ”を伝えていきたい。
“vein” は、血管からインスピレーションを受けて生まれた作品であると同時に、棘を側面から見つめ直した表現でもある。複雑に絡み合う線は、人と人との関係性のように、決して単純ではない。 線の中を流れているのは、単なる絵の具ではなく、感情なのである。それらは、旋律のように重なり、時にぶつかり合い、 沈黙を挟みながら、ひとつの流れを形づくっていく。”vein”は色を持つ線が複雑に絡み合っているので、様々な角度から作品を見る事で、ある一定方向からは見えなかった色が見えてくる。これはまさに人間の内面的な良し悪しを表しており、人を様々な方向から見ようとする事で、新たな一面を知り、深く知ることができる。
また、”thorn”と同様に、触れ続けることで外部の塗装が剥がれていき、内部の色が現れる。作品を通じて多くの人々が作品を触れ合う様子は、人間関係においてもコミュニケーションと双方の理解の関係に類似している。
どれほど多くの「棘」を持つ人であっても、 受け取り手の在り方次第で愛を表すものへと変わる。 繊細な棘が傷ついたとき、繊細な棘が折れたとき、そこには、その人が本来持つ優しさの色が現れるのだ。そして複雑に絡み合う人間関係における言葉を含む触れ合いは、愛への理解を生む。
人間関係が希薄になりつつあるこの時代に、それぞれが内に秘めた心や人と人との繋がりの重要性を今一度確かめていきたい。